推しに名乗ってみた話

と、話題が少し重なったのでマシュマロ返信です。大した話ではないのですが推しに初めて名乗るというイベントは人生で一度しかないので思い出して一応書き残しておく。

 

とある現場で、諸々のタイミングが合って言っときたいな〜となったので初めて推しに直接名前を名乗りました。書いてて思い出したけど数ヶ月後にサイン特典会決まったしそれまで名乗らなくてもよかったのでは?まあいいや。続けます。ずーーっとネチネチ手紙を書いていたし他にも名前を晒して発信する場面はあったので、名前認知がないわけもないだろうと思って欲が出た上での行動だったんですが……

 

いざ言ってみて、ああ!という顔をされて、いつも手紙読んでる旨を告げられ、どう考えても120%予期できた返答なのに頭が真っ白になりました。ちょろすぎない?タレントのことを信じていないというか予防線張りすぎていつもみんなの手紙読んでるよって言われてもそういう体を装う意志を見せてくれてありがとうとか思ってる部分あるので(……)いざ本当に言われるとびっくりしてしまった。しかしまあ特大スターでもない限り人間ならもらった手紙くらい読むか。ありがとう。

 

私がタレントの彼を見て私的な時間に書いて、プレボなり事務所なりオフィシャルなところを通して渡した手紙が推しの手に渡って、表舞台じゃない私の知りえない時間にそれを読んで、オフィシャルな場でそれに対するレスポンスを得るという一連の流れがめちゃくちゃ不思議に思えて面白かったです。前推し推してた時は思うところあり推しに身バレしないがモットーだったのでその場限りの会話しかしたことなくて(多分顔はバレてたけど)。推しが人間だから私の名前を覚えてて、でも今会話してる推しは限りなく商品で仕事中で……っていうのが違和感がすごくてぐるぐる。考えすぎかな。商品としての推しと人間としての推しが地続きになっている……

 

私は元来手紙というものが大好きで、大好きなのですが自分が大好きすぎるゆえにそんな独りよがりをぶつけたものを見ず知らずの相手(と敢えて書く)に読んでもらいたいとか喜んでほしいとかおこがましいなって思ってて。でも手紙大好きなので命かけて書いてて、でも重くないかなとか読みづらくないかなとかずっと気にしてて。それをちゃんと読んでもらえてて、ありがとうって言ってもらえたのは純粋にとても嬉しかった。事務所に弾かれず手元に渡ってかつ読まれた上でそう言ってもらえたということはそこまで内容やばくなかったんだろうし(自信がなさすぎるだけでそんなにやばいこと書いてないよ感想だけだよ!!!!!このブログの名誉のために言っておくけど)

 

でも同時にあーーちゃんとこの人は覚える人なんだな、こうやって皆のこと覚えてるんだなっていうのもわかってしまって悲しくなったり。性格が醜いので。推し被りや近隣界隈と交流がなさすぎてそれまでどれくらい認知する人なのかとかも知らなくて、自分がそういう対応されないでいたらきっと覚えてもらってるかなという希望願望を抱いたまま他の人のことは気付かないでいられたけど自分がされると気づいてしまう。私の名前でも覚えてるならあの子とはもう顔見知りみたいなもんだろうなとかね。醜いね。推しが人間なの、嬉しいけど解釈違いだ(?)願望だけ抱いて一方でそれぞれのおたくとの個人としての時間や思い出を持たない象徴みたいな何かだと信じていたかった気もするよ〜〜〜〜

 

その場で名前認知の有無を確認しただけで顔認知も微妙なので今後も特に変わりなくって感じだと思うのですが、ちゃんとあの手紙を書いてる〇〇っていうファンの存在が推しの中にいるって私が確認できてしまったそれだけのことがなんだか大きい。ていうか本当に手紙読んでるの?あの嫌がらせみたいな手紙?ごめん……書くのやめたい……書きたい……

 

で、認知と言うとガチ恋と認知で云々という話を永久にしてた時期があったのでその時期に頂いていたマシュマロに繋げて一つ。マジでマジで遅くなって申し訳ないですまだ見てるかな。伏せた中で書いていただいてた新曲もそろそろ新曲という感じでもなくなってきましたが本当に最高でしたし推しを褒めていただいてめちゃくちゃ嬉しい……「センターの推し」最近熱いテーマなのでそのうち語ります。閑話休題

 

こんにちは、以前からお返事いただいている者です!

認知のお話で、ファン心理にも好かれたい構われたいってあるんですかね、と書かれていたので…

【伏せ】

推しには認知されたい!と強く思ってるわけではないですが、認知されたらうれしいな〜くらいに思っています。

ただこれは私の持論なのですが、認知されたいのであればそれなりの努力(ループできる接近であればループする、現場に足を運ぶなど)をすべきだと思うので、私はそこまでして認知されたいとは思わないなというのが本音です。

 

 改めてマシュマロありがとうございました!まずこのお返事を書くにあたって一連の記事を読み返したんですが今の私と言ってることが違いすぎてびびった。矛盾を積み重ねながら生きています。

 

今回思ったのは、認知されるって「私が存在してる」ってことで、そこにファン心理もガチ恋もないのかもなあっていうことです。手紙の話しかできないので手紙の話をしますが、一応手紙って書き手と受け手があってのものなので、タレントとファンといういびつな間柄だとしてもそこを自己満だって割り切れてなかったんですよね。私は。相手に思いを届けるためのものっていう本質を無視できなかったから、読まれてるかわかんないのがすごくストレスだったっぽい。から、私の手紙は正常にその役目を果たしてるし書き手の私の存在が受け手の推しにちゃんと残ってるのが嬉しかった。喋る時間与えられてるのに肉筆の言葉を届けられるのにお互い個を持つ人間として認識し合えてる実感がないの、ただただめちゃくちゃストレスフル!

 

でも勿論タレントさん達はいつも接触でやばい人数さばいてるわけで、やばい数の手紙をもらってるわけで、やたらめったら人間扱いされたいとは思わないというのもそうだと思います。マシュマロ内の「それなりの努力」の観点ですね。それでいうと私は「それなりの努力」をした気になっているということなのかな。現場回数とお手紙についてはそうなんだと思います。でも歴と多ステと接近ループはそんなに自信がないので顔認知が特にないのは比較的割り切れてるというか、私も「そこまでして認知されたいとは」という感じ。認知されたいから努力する部分もあるけど、好きゆえにそれなりの努力を繰り返した結果認知がないことがストレスになるパターンもあるかも、というかその二つの追いかけあいなのかなと思いました。

 

まあそれなりの努力のハードルがめちゃ高い人とか、タレントとファンの構造を正しく理解していて手紙が届いていないかもしれなくても自己満だと割り切れる人とかが、より正常なのだろうなと思いつつの持論です。私のストレス耐性の低さを晒しただけになってないか?

 

とりあえずしっかり推しに名前が割れてることがわかってしまったので改めて叶えられないガチ恋を抱えこむことに。ちなみに一度ガチ恋というより推しくんりあこ♡くらいのテンションのただのおたくでいようかな仕事してる推し好きだし〜〜とか過去に書きましたが、いわゆる狙いとガチ恋は別で定義していいのではという考えを見かけてから自分での定義はやっぱりガチ恋になりました。開き直っておたくとしての楽しみを一層全力で謳歌していこうと思います。

 

 

久しぶりに置いておくので何でもござれです〜!見ての通りいつ返すかはめちゃくちゃですが頂けるものはとっても嬉しいです

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※どこまでも存在感がないおたくなので大丈夫かと思ったのですが身バレ……という気持ちになって一つ前の記事は消しました。読んでくださった方ありがとうございますm(_ _)m