推しへの名乗り方を考える【マシュマロ返信】

マシュマロ、翌日に返すか数ヶ月後に返すかみたいなとこある。

今回はほぼ翌日です。早速行きましょ~~!

 

 いつもブログ楽しく拝読しております。私も推しに接触の時名乗ってみたいと思っているのですが、どのように名乗ればいいか分からず困っています…もしよろしければ、どのように名乗ったか、身バレなどであれでしたら、おすすめ(?)の名乗り方などありましたら教えていただければ幸いです。これからもブログの更新楽しみにしています。

 

まずはマシュマロありがとうございます!辺境ブログ楽しんで頂けてるみたいでとても嬉しいです……更新ペースの緩急が激しくて風邪ひきそう*1なブログではありますがこれからも面白がって頂けたら幸いです。

 

本題の名乗り方ですが……私自身、こう、私のこと覚えてますよね!?あるいは覚えてください!とか名前呼んでください!みたいな方向で名乗るのは図々しいかなって気後れするタイプだったので、~~のメール読んでいただいた◯◯です!その節はありがとうございました!みたいな、「お礼を言うために身元を明かさねばならない」という言い訳が立つ状態で名乗りました、ちょっとフェイクは入ってますが……別に認知確認したいわけじゃないんだよ!というポーズをとりました。向こうからしたら認知確認でしょうしこちらの気持ちも認知確認ですけど建前は大事です。行動の勇気のために。

 

ただ、まあ、言い訳がなくても普通に名乗ってもいいのかなーという気持ちも最近は芽生えてきています。以前どこかの記事で書きましたが名乗るのはかっこ悪い!図々しい!無理!ってしばらく思ってたんですけど人って変わりますね……

 

考えが変わるきっかけになったのは、いわゆる二推しとして応援してる某同業若手の発言です。お仕事のひとつで投げ銭ありの個人配信みたいなのをやってるんですけど、始まったばかりの頃にある上位ユーザーを名指して「◯◯さんはいつもリプとかもくださってるんですよね~みんなも名前一致するようにしてくれたら嬉しいな」というニュアンスの話をされてて。ツイのHN、手紙、ラジオネームetcですね。

 

それ聴いた時に、なるほど!あちら側としてもオタクのHNとメールと本名と顔を一致させたいって欲がある場合があるんだな!まあその方が営業しやすいし()身元わかってた方が落ち着くこともあるよね!と思ってこれまでなかった発想だったので目から鱗が落ち。

 

そのあと別の某同業若手がツイで手紙とリプの主が一致する瞬間が云々みたいなことを言っているのも見かけて、人によって考え方は違うでしょうけど「そういう考え」の存在はインプットされました。そのことは結構後押しになったかなーと思います。同時期に推しの発言だったり諸々鑑みて「名前認知はあるだろう」という確信があったので、私が名乗るのはその手の確認作業のうちだなと思えて心理的ハードルが下がりました。

 

リプなり手紙なりメールなりなんでもいいけど「私の名前の音の並びに覚えがありそう!」と確信が持てるのであれば種明かし的に名乗っちゃっていいんじゃないかなー……ふつうに……言いづらければメールのお礼みたいな軽い言い訳として、ちょっとクセのあるリプなり手紙なり何か仕込んどいて、あの◯◯です!て言える状況にしておく。

 

それか上で否定したけど接触対応甘めな人でリクエストNGとかなければ名前呼んでほしいです!とかから入るのでもいいのかなーって。私の推しはそういう感じじゃないかな……と思ったのでこの線はなかったですが。あとなんかあだ名つけてくださいとか言ってる人もいない!?いないかな。

 

名乗りとは違うけど、いちばんいい流れは主に死ぬほどループするなどのアクの強い行いをした上で手紙などで外堀を埋め名乗らずとも顔と名前を向こうに一致させてもらうことでしょうけど、結構険しいですよね……

 

あと元推しには名乗ったことはないんですが名前聞かれたことはあって(半ば公開処刑)、その時は「◯◯(一つ前の遠征現場)で手紙書いて行ったのにホテルに忘れちゃったので今日まとめて入れときましたすみません!」と謝罪の体で手紙書いてきたことと◯◯に行ったことをアピる小賢しい真似をしたら要注意個体として認識されたのか聞かれました。あの人は特殊例ですが自分から名乗る時の取っ掛かりとして参考までに。

 

あとは名刺交換するという謎イベがあったこともあってその時は普通に名乗ったよね。名乗ったっていうか書いてあるので……名刺交換はなかなかないだろうけど名前伝えてサイン書いてもらうとか、あと界隈によっては手紙手渡しの機会とかもあったりするのかな?そういう、名乗らざるを得ない状況を待つのもありかなって思います。

 

首から名前とアイコンぶら下げてる人とか昔知り合いにいたし(……)やろうと思えばいくらでもやりようはあるけど、慎ましく痛くなくなるべく相手の負担にならず、と考えてしまうと悩みますよね、名乗りって……私も1回名乗ったはいいが次どうすんの?ってなってます。もし以前から「こいついつもいるけど誰だ?」と思われてたなら1回名乗れば覚えてるかもだけど、そうじゃなきゃ微妙だし、でもまた初対面みたいに◯◯です!って言っていや知ってるよ!?てなっても嫌だなーと……難儀。まあまた小賢しい真似を考えようと思います。

 

身元、明かしたいですよね!(?)一度でも明かすことが出来て私はめちゃくちゃすっきりしているのでマシュマロ主さん(マシュマロ主さん?)の名乗りライフを応援しています!もし名乗れた時はよかったらお話聞かせてください~!それでは!

 

皆さんの名乗り事例やその他何でも何かありましたら!
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*1:推しが気に入っている言い回し

推しに名乗ってみた話

と、話題が少し重なったのでマシュマロ返信です。大した話ではないのですが推しに初めて名乗るというイベントは人生で一度しかないので思い出して一応書き残しておく。

 

とある現場で、諸々のタイミングが合って言っときたいな〜となったので初めて推しに直接名前を名乗りました。書いてて思い出したけど数ヶ月後にサイン特典会決まったしそれまで名乗らなくてもよかったのでは?まあいいや。続けます。ずーーっとネチネチ手紙を書いていたし他にも名前を晒して発信する場面はあったので、名前認知がないわけもないだろうと思って欲が出た上での行動だったんですが……

 

いざ言ってみて、ああ!という顔をされて、いつも手紙読んでる旨を告げられ、どう考えても120%予期できた返答なのに頭が真っ白になりました。ちょろすぎない?タレントのことを信じていないというか予防線張りすぎていつもみんなの手紙読んでるよって言われてもそういう体を装う意志を見せてくれてありがとうとか思ってる部分あるので(……)いざ本当に言われるとびっくりしてしまった。しかしまあ特大スターでもない限り人間ならもらった手紙くらい読むか。ありがとう。

 

私がタレントの彼を見て私的な時間に書いて、プレボなり事務所なりオフィシャルなところを通して渡した手紙が推しの手に渡って、表舞台じゃない私の知りえない時間にそれを読んで、オフィシャルな場でそれに対するレスポンスを得るという一連の流れがめちゃくちゃ不思議に思えて面白かったです。前推し推してた時は思うところあり推しに身バレしないがモットーだったのでその場限りの会話しかしたことなくて(多分顔はバレてたけど)。推しが人間だから私の名前を覚えてて、でも今会話してる推しは限りなく商品で仕事中で……っていうのが違和感がすごくてぐるぐる。考えすぎかな。商品としての推しと人間としての推しが地続きになっている……

 

私は元来手紙というものが大好きで、大好きなのですが自分が大好きすぎるゆえにそんな独りよがりをぶつけたものを見ず知らずの相手(と敢えて書く)に読んでもらいたいとか喜んでほしいとかおこがましいなって思ってて。でも手紙大好きなので命かけて書いてて、でも重くないかなとか読みづらくないかなとかずっと気にしてて。それをちゃんと読んでもらえてて、ありがとうって言ってもらえたのは純粋にとても嬉しかった。事務所に弾かれず手元に渡ってかつ読まれた上でそう言ってもらえたということはそこまで内容やばくなかったんだろうし(自信がなさすぎるだけでそんなにやばいこと書いてないよ感想だけだよ!!!!!このブログの名誉のために言っておくけど)

 

でも同時にあーーちゃんとこの人は覚える人なんだな、こうやって皆のこと覚えてるんだなっていうのもわかってしまって悲しくなったり。性格が醜いので。推し被りや近隣界隈と交流がなさすぎてそれまでどれくらい認知する人なのかとかも知らなくて、自分がそういう対応されないでいたらきっと覚えてもらってるかなという希望願望を抱いたまま他の人のことは気付かないでいられたけど自分がされると気づいてしまう。私の名前でも覚えてるならあの子とはもう顔見知りみたいなもんだろうなとかね。醜いね。推しが人間なの、嬉しいけど解釈違いだ(?)願望だけ抱いて一方でそれぞれのおたくとの個人としての時間や思い出を持たない象徴みたいな何かだと信じていたかった気もするよ〜〜〜〜

 

その場で名前認知の有無を確認しただけで顔認知も微妙なので今後も特に変わりなくって感じだと思うのですが、ちゃんとあの手紙を書いてる〇〇っていうファンの存在が推しの中にいるって私が確認できてしまったそれだけのことがなんだか大きい。ていうか本当に手紙読んでるの?あの嫌がらせみたいな手紙?ごめん……書くのやめたい……書きたい……

 

で、認知と言うとガチ恋と認知で云々という話を永久にしてた時期があったのでその時期に頂いていたマシュマロに繋げて一つ。マジでマジで遅くなって申し訳ないですまだ見てるかな。伏せた中で書いていただいてた新曲もそろそろ新曲という感じでもなくなってきましたが本当に最高でしたし推しを褒めていただいてめちゃくちゃ嬉しい……「センターの推し」最近熱いテーマなのでそのうち語ります。閑話休題

 

こんにちは、以前からお返事いただいている者です!

認知のお話で、ファン心理にも好かれたい構われたいってあるんですかね、と書かれていたので…

【伏せ】

推しには認知されたい!と強く思ってるわけではないですが、認知されたらうれしいな〜くらいに思っています。

ただこれは私の持論なのですが、認知されたいのであればそれなりの努力(ループできる接近であればループする、現場に足を運ぶなど)をすべきだと思うので、私はそこまでして認知されたいとは思わないなというのが本音です。

 

 改めてマシュマロありがとうございました!まずこのお返事を書くにあたって一連の記事を読み返したんですが今の私と言ってることが違いすぎてびびった。矛盾を積み重ねながら生きています。

 

今回思ったのは、認知されるって「私が存在してる」ってことで、そこにファン心理もガチ恋もないのかもなあっていうことです。手紙の話しかできないので手紙の話をしますが、一応手紙って書き手と受け手があってのものなので、タレントとファンといういびつな間柄だとしてもそこを自己満だって割り切れてなかったんですよね。私は。相手に思いを届けるためのものっていう本質を無視できなかったから、読まれてるかわかんないのがすごくストレスだったっぽい。から、私の手紙は正常にその役目を果たしてるし書き手の私の存在が受け手の推しにちゃんと残ってるのが嬉しかった。喋る時間与えられてるのに肉筆の言葉を届けられるのにお互い個を持つ人間として認識し合えてる実感がないの、ただただめちゃくちゃストレスフル!

 

でも勿論タレントさん達はいつも接触でやばい人数さばいてるわけで、やばい数の手紙をもらってるわけで、やたらめったら人間扱いされたいとは思わないというのもそうだと思います。マシュマロ内の「それなりの努力」の観点ですね。それでいうと私は「それなりの努力」をした気になっているということなのかな。現場回数とお手紙についてはそうなんだと思います。でも歴と多ステと接近ループはそんなに自信がないので顔認知が特にないのは比較的割り切れてるというか、私も「そこまでして認知されたいとは」という感じ。認知されたいから努力する部分もあるけど、好きゆえにそれなりの努力を繰り返した結果認知がないことがストレスになるパターンもあるかも、というかその二つの追いかけあいなのかなと思いました。

 

まあそれなりの努力のハードルがめちゃ高い人とか、タレントとファンの構造を正しく理解していて手紙が届いていないかもしれなくても自己満だと割り切れる人とかが、より正常なのだろうなと思いつつの持論です。私のストレス耐性の低さを晒しただけになってないか?

 

とりあえずしっかり推しに名前が割れてることがわかってしまったので改めて叶えられないガチ恋を抱えこむことに。ちなみに一度ガチ恋というより推しくんりあこ♡くらいのテンションのただのおたくでいようかな仕事してる推し好きだし〜〜とか過去に書きましたが、いわゆる狙いとガチ恋は別で定義していいのではという考えを見かけてから自分での定義はやっぱりガチ恋になりました。開き直っておたくとしての楽しみを一層全力で謳歌していこうと思います。

 

 

久しぶりに置いておくので何でもござれです〜!見ての通りいつ返すかはめちゃくちゃですが頂けるものはとっても嬉しいです

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※どこまでも存在感がないおたくなので大丈夫かと思ったのですが身バレ……という気持ちになって一つ前の記事は消しました。読んでくださった方ありがとうございますm(_ _)m

声優の固定オタクについておもうこと

最近、初めてその時の自分が1番に応援している人、じゃない人にファンレターを書きました。二次元の本命にドラマCDで声を当ててくれた人で、期間で言ったら推しに出会う前から気にかけていて、露出が少しずつ増えてきて声を聞ける機会が増えて、その中で一度改めて応援と感謝を伝えたいな、と思って筆をとりました。

 

そこで私は彼に「私の大好きな人に素敵な声を与えてくださってありがとうございます」「あなたの声でもっと〇〇くんのことが好きになりました」というようなことを書きました(誇張じゃないです、イメージ通り以上で本当に本当に素晴らしかった)

 

で、書けて満足したんですけど、一方で、私は一生推しくんにこの言葉をかけてあげられないだろうなあと思って、悲しくなりました。

 

私は推しくんの声もお芝居も歌も大好きだし、いいと思ったらめちゃめちゃに褒めるけど、それってあくまで推しくんのオタクとしての言葉でしかなくて。私は常に推しくんの声を、芝居を、推しくんの作った作品として、プロである推しくんのお仕事としてしか見ることができない。私は推しくんのことが元々好きで知っていて、推しくんの仕事だっていうフィルターを挟まないと推しくんの作るものを見ることができないんですよね。あなたが好きだったから〇〇を見て、〇〇でのあなたはこういう風に素晴らしかったです、っていう論法しか使えない。

 

役者さん(それも声優さん)が嬉しい言葉って、演じてるのが誰なのかって意識したわけじゃない作品やキャラクターのファンからの言葉なんだろうなって、思ってる節があって。推しくんのことを見ようとして褒めようとして追いかけ回してるファンよりたまたまぶつかって感銘を受けた人の言葉が大きいだろうなって(後者の方が得難いから、というのももちろんあると思います)

 

もちろんいつも応援してくれてありがとうって言葉を疑うわけじゃないけど。いうていわゆる固定オタクって必要なのかなーーめんどくさいだけじゃない?って思っちゃう。雑誌アンケにめっちゃ名前書いたり、事務所や関係者にオタクいますアピしたりはできるけど、出演作にお金積んでも推しに落ちるわけじゃないし、現場の席が埋まったところで本職それじゃないしそれより在宅のDDが増えた方がお仕事の性質上いいのでは?と思うし、結局事務所がどれだけ仕事を回してくれるか、本人がどれだけ役をとれるかで、そもそも(推しくんはそうとは言えないから本当にそもそも論だけど)露出ありきの職種じゃないんだから固定オタクなんていなくてもいくらでも安定してお仕事できると思う。作品を良くする歯車として業界に求められるようになれたらオタクいなくても勝ちだよねって。

 

推しに金を落とすことに比較的意味がない、もしくは難しい界隈だなーと思います。声優。変わってきてると思うけどね。俳優とかアイドルのノリで推しに直結するお金を投げるのが難しい(俳優もアイドルも推したことないから誤解があったらごめん……)。だとしたらいったい我々の存在意義とは、お金払ってもうまくいかないしお仕事に対して新鮮な感動じゃなくてストーカーの観察日記みたいな感想しか言えないし(書いてて気づいたけどこれ私の個人的な性質に問題があるのか???)色々切り詰めながら頑張ってる割に還元されねえなって、なる。

 

もちろん前提として好きだからお金を払ってるし追いかけてるし納得できる形でできる範囲のしたい範囲の無理をしているからいいんだけどね!!全然!!

 

推しキャラの声を当ててた人を推し始めたってパターンじゃないし、推しが声を当てたキャラのことも作品のことも、推しの仕事の一部として捉える視線を完全に無くして見てあげることはもうできないから、1番好きで応援している人に、1番あげたい言葉をあげられないジレンマをずっと抱えながら推し続けるんだろうなーと思います。

 

それでもやっぱり好きなので。私は言えないけど、推しくんが1人でも多くの人に「私の大切な人の声があなたでよかった」って、「〇〇で聴いたあなたの演技が素晴らしかった」って言ってもらえるような役者さんになれるように願いながら、人目に触れるための、業界での人脈を増やすための、きっかけになるお仕事を掴めるよう、事務所と関係各位へのアピールを続けていきたいなと思います。

 

そして願わくは、推しくんのお仕事の定点観測を続けている「推しくんのファン」である人達の声に、あなた自身が好きでその時点では絶対的な味方である人達の存在に、たまに、疲れちゃった時とかに、支えられてくれたらいいなと思う。人間だから、つい心が揺れてそういう肯定がほしくなっちゃった時だけでいいから、思い出してくれたらいいな。

 

 繰り返すけど、いつも応援してくれてありがとうって言葉を疑いたいわけじゃないし、慎重になりすぎかなとも思う。ただ、これくらい自戒しながらおたくをしていたいなという話です。役立たずかもしれないけど大好きだよ!!

最前を経て雑感、恋する女とファンの狭間で

自分のことくそりあこだなあとは常々思っていたのですが、最近、あーーこの人は私の好きな人なんだなあとしみじみ思ってしまったので、考えたことを色々書きます。

 

最近推しくんの現場で初めて最前に入りました。と言っても、座席の形もそれに対する番号の振り分け方も不規則だったので超良番良席だったとかではなく最前と呼べるかは不明なのですが、まあ私がその縦のラインでは一番前だったし私と推しくんの間に誰もいなかったので最前です。

 

すごく小さい箱の、好きなコンテンツのトークメインのイベントだったので、そんなに前じゃなくても先行でチケとった人は演者の表情まで見えるし、演者からも全員が見えるし、推しだけ目当てじゃないからその場にいれるだけでも楽しいし、前じゃなきゃいけない理由はそんなにない現場だった。そして座席が不規則なのでまさか現地に着くまで最前とは思ってなかった。

 

けどねーーそんなモチベの中会場着いてみたら一番前で、しかも途中のコーナーから推しの立ち位置が反対側から私のいる方に変わって。接触とか抜きにしたらこれまでで一番近くで長い長い時間ずーっと推しくんのことを見て。なんというか。

 

やばいな……ってなったんですよね(語彙)

 

斜めに置いた机の向こうに椅子並べて座ってコーナーのゲームしてて、推しくんがいちばん端で私の席も端の方だったから、普通にしてたら机の向こうに隠れる全身がずーっと見えてて。姿勢も、服の感じも、足の置き方も靴下も、頭の先からつま先までぜんぶ。数メートル先で!(これは個人的な意見なんですけど、座ってる姿って立ってるとこよりプライベートな印象を受けませんか?そんなことない??)

 

私のこれまでの前方席へのモチベ(いわゆる良席厨みたいな人たちのそれに比べたら塵みたいなものですが)って、もう単純に目が悪いので(近視と微妙すぎて矯正かけてない微妙な乱視)近くに行かないと表情が読み取れない!というのが特にお芝居の時は死活問題なのと、あとは見てほしいかまってほしい〜〜だったのですが、今回最前を経験し、いやこれ違うなってなりました。

 

たとえ小さくともステージと客席って、物理的に近かったとしても心理的な距離がものすごく遠い。その隔たりがあるだけで、ステージ上の演者はステージに立ってる人っていう記号みたいなものになって、あんまり自分と同じ人間って感覚されない、少なくとも私は。表情が見える距離でも一緒。でももっともっと物理的に近付いた時、どこかでその感覚がひっくり返って、推しはステージの上の記号じゃなくて数メートル先で今お仕事をしている自分と同じ生身の人間なんだ、って直感を得られるんじゃないかなって。私にとってはそう思えたのが、自分と推しの間に誰もいない最前に入れた時だった。ステージでのショーではなくて(それもあるけど)そこで仕事をこなして喋ったり笑ったりしてる一人の人間を観察している気持ち。

 

で、この感覚を得てしまって以降ますますリアコないしガチ恋を拗らせてしまいました。これまでも推しくんのことを人間だと思っていたし男だと思っていたからリアコだったけど、同じ空のもと生きる生身の人間だって否応なく思い知ってしまった。下手したら接触の時以上に。生身の人間だからさ〜〜たとえ知り合いじゃなくても恋してしまうよ。より切実になってしまうよ。どうしても会いたかったり好きで好きで内臓がモヤモヤしたり顔見て言葉を受け取って安心したり受け取れなくてそわそわしたり、そういう感覚が普通に恋してる時とどんどん近付いてしまう。タレントとファンの関係の構造の上に自分の恋心を置いていたつもりだったんですが、私の心だけ勝手にどこかに走り出している。困る。

 

しかもさ〜〜生身の人間として推しのことを感じられる距離で現場に入りたいという感情、オタクとして正当性の欠片もないんだよな。表情見たいから前がいいは普通に純粋なファンでも思うけど、これはもう恋する女のわがままじゃん。

 

私はオタクとしての道を踏み外さないでリアコの自分を成就させるには、自他そして推し共に認めるTOになるのが一番なのかなと思っているタイプのオタクです。私自身推しにとって価値と意味のあるオタクでいたいお金落としたいいい顔してたいって気持ちがすごく強くて、それはなんでかって考えたらもちろん推しに好かれたいっていう恋愛特有の身勝手で、でも恋愛の好きを求めたら道を踏み外すしかないから、正攻法で「好かれる」に近い状態を得て自分を満たすにはオタクとして価値を高めて推しにとって個として意味がある存在になって、究極的にはTOとしてこの部門での推しにとっての一番で唯一になるしかない、という論法です。

 

……っていう屈折した恋愛観オタク観に基づいて生きていたのに、この期に及んで普通に恋する女の自我が出てきてしまい、正しく価値のあるオタクには必要のない欲と喜びが芽生えてしまいどうしたらいいのかわからないです!!普通に好き!!付き合ってください!!(※それは前から思ってた)今回を経て振られたい人の気持ちもわかってきました。ファンとしていい顔して好かれたいという欲望を、私の恋心をその一瞬でも理解してファンという記号を通さず一人の人間としてみてほしいって欲望が超克していく感覚。

 

本当に本当に困るんですけど、リアコとしてのやっとスタートラインに立てた気もします。

 

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ガチ恋リアコ各位の諸々の感覚が知りたくてたまらないし議論したくてたまらないのでどの部分にでもください!!!関係ないことでも何かあればください!!!壁打ちブロガーの分際でコミュニケーションを求めて忍びないのですが何卒……

 

 

 

ちなみに以下どれだけ私が小難しくオタクをしているかの参考資料です

 

c-mint.hatenablog.com

c-mint.hatenablog.com

新人声優の推しに歩んでほしい道を考える

推しについて話す時、よく「売れてくれ〜」と喚いてしまいます。

新人の役者さんを推している人はよく思うんじゃないのかな。知らないけど。売れる売れないで思い詰めてしまって、売れてる人を推してる友達に案じられることが結構あります。なので今日はそのあたりのことについて。

 

私の推しは新人の声優さんです。前推してた人もそうでした。実際キャリア何年まで新人と呼べるかは難しいところですが、売れっ子の若手、という感じではないしとにかく上の世代が抜けていかない界隈なので新人としておきます。

 

役者、それも声優を推している人間にとって推しが売れるか売れないかは切実な問題です。

若くて、新人で、おたくが少なくて、いわゆる地下っぽい界隈って、地下ドルだったりインディーズのバンドだったり、あとはあんまり明るくないけど配信とかの素人系も多分そう?かな?とにかく色々あると思うんですが、彼らと声優には明確な違いがあって、声優は基本的に自分から発信する手段を持っていません。

 

例えば地下ドルだったら、売れていなくても現場に通えます(そこが活動のメインなわけですから当たり前ですね)。自分達で動画配信をするような人たちも、自分達でやってるわけなので供給の有無は売れてる売れてないには(一応)左右されません。

 

でも声優って、役をとってきてくれないと芝居が聴けない。ラジオのパーソナリティーに選ばれないと話が聴けない。イベントに登用されないと現場がない。基本的に仕事がもらえるか(とってこれるか、事務所に回してもらえるか)に推し活の全てがかかっています。

 

私自身は根っからの同担拒否ではなく得意ではない、レベルですが、同担拒否だったにしても同担を潰してる場合ではないし、マイナーだった推しが売れ始めることに寂しいなとか言ってる場合でもありません。売れてくれないと、おたくがつかないと姿を見ることすら叶わなくなる。それが嫌なので、私は絶対、若くなくなっても埋もれないような演技と喋りを身につけて、いい役当てて、推しに売れてほしいです。

 

……というところまでが前提で、ずっとずっとこう思っていたんですが、最近それの中身についてよく考えるようになりました。

 

というのも。私はもともと、アニメレギュラーをガンガン取れて、かつ演技だけでなく役者本人の名前で一定の集客ができる、という状態が売れてるってことかなあとぼんやり思っていたのですが、この、アニメレギュラーを取れるっていう、声優オタクがとりあえず推しに望んでしまうそれが、本当に絶対的に目指すものなのか疑問に思い始めて。

 

推しはアニメにはほとんど出ていませんが、単発の演技のお仕事だったり継続してるコンテンツだったりタレントめいたお仕事だったりが結構あります。現場も多いです。なんとか本業でご飯を食べれているんじゃないのかなあって、業界のギャラの相場がわかんないのでアレなんですが思っています。

 

ただ、アニメに出る気配がなさすぎて、まだまだ業界内では若いので焦るほどではないにせよ、昨今のアイドルものとドル売りの流行による若手の氾濫と、その中でもう売れてる人は売れていてアニメもどんどん決まっていく状況を見ていると、埋もれて終わるんじゃないかってやっぱり焦ります。

 

そんな時友達と話してて、でもいうてアニメが吹き替えやナレほど金になるわけじゃないしねって言われて。あーなるほどそれはそうだなって。アニメに出れるって、違う界隈のアニオタとかの目にも触れるし、現場で得るものも多いし、分かりやすい成功の象徴でもあるけど、一番金になる仕事ではないんだよなと。

 

推しの姿を、紡ぐ言葉やお芝居を見続けたいこと。そのために声優のお仕事で安定してご飯を食べていてほしいしそのために売れてほしいこと。推しが今アニメに出れてないけどなんとか仕事はありそうなこと。アニメが一番金になるわけじゃないこと。

以上を鑑みて、推しにアニメに出てほしいか?って考えた時、別にそこまでじゃないなと思ってる自分に気づきました。

 

推しのアウトプットは一つでも多く見ていたいので出れるもんなら出てほしいのですが、めちゃくちゃ固執するものじゃないなって。芝居もお仕事での声も、他の場所で聴く方法は沢山あるから。

 

声優の顔出しタレント売りが活発になって、コンテンツも多様化して、webという発信のチャンネルが増えて。

声を使ってアウトプットをしてお金を稼いでご飯を食べて、同時に本人にファンをつけて本人についての発信のチャンネルも確保する、っていう、私が推しに望む状態を実現する手段が、悲観されがち(主に若手増えすぎとか)なこんな時代だからこそ、実はたくさん可能性があるんじゃないのかなって思うようになりました。

 

だから最近は無闇にアニメ決まれ〜って念じたり焦ったりするのが軽減されました。

何より推しは、声優は声を使って演技だけじゃなくて何でもできるんだ!というところに胸を打たれて業界に入った人だし、多分そういう若手の人、今とても多いと思うので、文脈としてはみんなアニメ声優の流れの上にいるけど、今の中堅アニメ声優の人たちがたどってきたルートそのままを選ばれし若手が辿るんじゃなくて、今の若手がもう少し年を重ねる頃には声優界隈のあり方がちょっと変わってたりとか、そういうこともあるかもなって思うと楽しみです。どういう風に生きていくのか見せてほしい。

 

若手声優推しをやってるのは完全に成り行きですが、強いて言うなら若い役者だったりそれを起用する人たちだったりがなんかよくわからない芝居だったり企画だったりを作ってるの見るのが楽しいんですよね。メジャーにはないドキドキ感とエネルギーというか。メジャーはメジャーで楽しいし両方味わえるとこが好きなのかも!だからそういう人たちがこれから何するかも見守りたいし、既存のルートにはめ込みたくない。

 

まあ、それはそれとして推しくんがアニメでバンバンメイン取りたいなら、そういう声優になりたいのであればもちろん心の底から応援するけど!!!!!どうなんだろうね、アニメの影響で業界入りではないけど普通にオタクだし。憧れの人もめっちゃアニメ出てるし。本人から明言されてないけど色んな媒体での芝居もパフォや歌も等しく大事にしてくれてる気がするし、アニメへのこだわりも今のところ感じないけど、出たいなら言ってください、そのつもりで応援するので(?)

 

声優になりたくて声優になった人だから、その中身はどうであれ声優というお仕事でご飯を食べて行きたいのだと思うので、50の質問 でも言いましたが、この仕事で推しがやりたいことやって輝いて、生活に困らず生きていけることを、そしてできればその「やりたいこと」で出力されるものを私がずっと見ていられるような関係でいれたらなって思います。推しの野望も私の欲望も叶えたい!!!売れてほしいってそういうことだ。メジャーにならなくてもどっちも叶うなら必ずしもメジャーになれとは言わないし、叶わないならメジャーになれ。売れろ。そのためにやっぱりアニメでなきゃ厳しいなら頑張ろう。

 

割と支離滅裂な上にここまで書いた着地点が半分既出ってどういうことだよって感じですが、インタでやりたいこと聞かれて芝居も歌もある個人イベやりたいって言ってくれた推しくんなので、きっと私が勝手に見たいなって思ってるもの、掴み取ってファンに見せてくれるんじゃないかなって思ってます。私も君の個人イベ行きたいです!待ってるっていうか、それまでついてくからね!

 

 

追記:特にはじめから声優志望だった声優に対して「声優でご飯食べてほしい」という感情が強すぎて、炎上してオタク離れて窮地に立たされる声優にめちゃくちゃ厳しいです。元推しがそれでした。燃えてオタク離れても安心して仕事できるくらいオタクの母数が多いか技術を買われてるなら好きにしろ。

推しに恋をすること

不要になったDVDやらを手放しながら暫定現推しの写真やら回収していたら「金の回り方がめっちゃいいね!」と褒められました。ありがとう。こんばんは。

 

さて、元推しから降りかけの時、昔からの友人(オタク)に夜中の東京駅で延々管を巻いていたら「あれ?あなた(元推しに)ガチ恋じゃなかったっけ?」と驚いた顔で聞かれたことがあります。

 

さもガチ恋とは違うみたいな話しぶりだったみたいで、答えとしては、そういえばガチ恋だったな、と言われて再確認した感じなんですが……そもそもガチ恋ってなんだ?推しに恋するってなんだ???という疑問に未だに答えが出ません、ので、今考えていることについていくつか。

 

以前にも少し書いた気がするんですが、私に関して言えば、他人について考える領域というより自分について考える領域に対象への「好き」がある状態が、対象への恋であると捉えています。

 

自分とは?と考えた時に、○○が好き、が入ってくるような。単純に好感が持てる、という評価ではなくて、自分のアイデンティティに深く関わってくるような、そういう好きかなあと思っています。不健康だと思うんですけどね、何が好きかで自分を定義するの……

 

そういう意味でやっぱり一人この人と心に決めるような推しには、私は恋をしているんだろうなあ、と思います。さっぱりできない重いオタクでごめんな。

 

ただ、恋をしていたとして、対象と付き合いたいと思うかとか、あるいは男性的魅力を感じているかとかは別問題だな〜〜!と私などは思ってしまうので、ガチ恋というとニュアンスが歪む気がして、難儀。私が異性愛者女性で、いま話題に挙げている「推し」が男性を指していることを前提として。

 

推しとして好き+恋をしているからうっかり付き合いたいなくらいは思ったりすることもあるし、推しとして好き+男性的魅力を感じるでこじらせた結果がっつり恋になっていたりするし。

 

語用がハチャメチャなため、一般的な定義とは離れているかもしれないんですがまとめると

 

(私の言う)ガチ恋:私自身のアイデンティティや生活に干渉してくる種類の好き(=恋愛に似ている)

リアコ:男性的魅力を強く感じている

(※どちらもタレントとファンの距離を前提とする感情)

ちなみに、

夢女子:付き合ってる妄想筆頭に推しとの夢を具体的に見る

 

で、なんとなーく区別してます。各境界は曖昧だとは思うんですが、主なニュアンスはこのあたりかなあ。

 

最近思うのは、ガチ恋寄りの推しがりあこ〜〜っ!ってなれるような人だと有り得ないくらいこじらせるなということ……重めガチ恋オタクなる前はコンビ推し強めで単推しできない人間だったので、そこから強いて言うならで選んだ推しにうっかり恋に落ち、そこから重い単推しをしがちになったんですが、そうなってからは推したくなる人がリアコ枠ばっかりなんですよね!やめろ!そんなに人数はいないけど!(なぜなら重いので)

 

ガチ恋とリアコ、区別したけどどっちかがどっちかを引き寄せるみたいなとこは絶対ある。どっちも広義に好きな男だし(雑)

 

これから自分にとって大切になるに従いガチ恋になる可能性は十二分にある+ゴリゴリに好きなタイプの男性まっしぐらでリアコ枠確定+ゆえに夢女なのが暫定現推しへの感情なのでもう逃げられない感じ、でもリアコできる、一般的な語用としてのガチ恋できる人が推しになるの最高に楽しいだろうなって履修しながら感じる〜〜けど好きなタイプの男を推しとして摂取できてしまうと身の回りの人と恋愛できなくなりそうだな

 

あとは幾つか雑感ですが。

一つは、「推しに恋をする」について思うのは、この感情を「一般的に言う恋愛感情と比較してどう位置付けるか」という観点で語るのは無粋なのではないかなあということ……うまく言えないけど、普通の恋愛とどう違うか、あるいは同じなのか、ということではなくて「タレント/キャラにファン・オタクという位置からありのままに恋をする」っていう感情がそれはそれとしてそこにあるというだけで、一般的な恋愛という概念に従属させたりする必要はないのかな〜〜って。どちらかというと並列。うまく言えないけど。論理の矛盾が激しい。ガチ恋/リアコってどういう感情なの?どうせ付き合えないのに??に対する返答は「これはこういう形の恋愛感情なの!!好きってだけ!!」でそれ以上でもそれ以下でもないというか、そういう話がしたい。

 

多分厳密な話をすると構造そのものに疑似恋愛的なところはあるのでこの限りではないけど、恋する乙女の心意気としてな。

 

それとこれは完全に自分の知らない界隈への純粋な興味なんだけど、推しを自分の「彼氏」として位置付けるオタクたち、あの人たちの生態にめちゃくちゃめちゃくちゃ興味があります。ガチ恋の代名詞みたいに言われることもあるけど、私のガチ恋は「ファンとしてタレントに恋をする」というか、「この世界にいる私がこの世界にいるその人に構造を偽らないまま恋をする」なので、距離感があれなだけでただの好きな人なので彼氏扱いする発想にはならないんですよね。ガチ恋の人の夢女子の部分が発現してるのか?それなら気持ちはわかる。

 

好きな人を勝手に彼氏扱いできるか〜〜!という自制心の塊としてはちょっと楽しそうだなと思ってしまうよ。どういう気持ちなのか聞いてみたい、煽りでなく。

 

この話題についてはよく考えているのですが自分の中で更新が激しいので備忘録的にまとまらないけど置いておきます。機会があったら赤ペン先生する。

「好き」の価値とか推し方とか

 

 かわいそうな人のためにしか芸術がないから、かわいそうな人がかわいそうぶっている世界が嫌いです。音楽に救われたって言っている子に永遠に勝てない。ただちょっとかっこよくて、いいかんじだなって思いましたよ、ぐらいじゃどうせ喜んでもらえない。ライブハウスで歌手にすがる右手より、私の存在は価値がないんです。価値がないファンなんです。

 

 確かぎりぎり十代だった頃に読んだ最果タヒさんの『十代に共感する奴はみんな嘘つき』の冒頭近くのこの一節が忘れられません(出版年的にこの時点でおおよその年齢がバレる)

主人公の女子高生の語りなのですが、何かを好きだなと思って、時にはファンだったりオタクだったりする自分が、ぼんやり気持ち悪く思っていたことの、極端ながらも的確な言語化で、しかも冒頭からそれ書いちゃうんだ!と印象に残っていたんだと思います。

 

今から書くのはオタク達の推しへの「好き」の貴賤であったり、推し方のことであったりそういう話で、まさかタヒさんもそんな話をするために著作を引用されるとは思っていなかったと思うのですが(なぜならもちろん作品全体としてそういう話ではない)(ごめんなさい)(好きです)とりあえずここを起点に話を進めます。

 

前提として「好き」は貴賤で判断するような価値ではないと思うけど。

ただ「好き」って簡単に言えてしまう言葉で大小方向性の差はある、その上で、見かけだけじゃ判断できない「好き」を担保する(ように見える)ものは何か。金とか時間とか現場数とか知識とか、色々言われるしオタクはすぐにそれで揉めたり病んだりするけども、私はそんなことより重要視されるのは「物語」なんじゃないかなと思う。それこそ、救われた、みたいな。そして、物語には貴賤が見出されてしまうと思う。それが正しいのかは置いておいて。

 

いつか私のいた界隈が、〇〇に仕事だったり学校だったり家族だったり、人生の辛かった時期を救われた、って人が、その裏返しで〇〇を失ったら死んじゃいそうな、そんな人がすごく多かった。どこにでもいると思うし、そもそも娯楽や好きなものってそういうものだけど、本当に、ちょっと印象に残るくらいにはマジでそういう感じな人が多かった(みんなまだ生きてるかな???どうか元気でいてほしいです)

 

別に、それが悪いと言いたいわけではなくて、でも少し気持ち悪かった。気持ち悪かったというか、羨ましかったのかもしれないです。両方かな。私はこんなことがあってこんなに辛くて、でもこんなに救われた、失ってしまったら死んじゃうくらい辛い、と、つらつらと論拠らしきものと共に語れることが羨ましくて、それが尊ばれることが、軽率なお涙頂戴や感動ポルノが生まれる要因と根っこが似てる気がして、気持ち悪かった。

 

好きなものは大なり小なり心にプラスになるから、私だって救われたには救われたし、好きでいる間に私の人生は進んでて、その時傍らに好きの対象がいたのならそれだけでちょっとした物語だ。そして、私だって新生活慣れなくてしんどい時に出会えて救われたんだ、って言っちゃう。そのあとのストーリーも語っちゃう。だから自分に全くそういう部分がないとはもちろん言い切れなくて、きっと半分は同族嫌悪だけど。

 

さっき少し挙げた、金や時間や現場数や知識って、ある程度は努力でどうにかなるものだと思います。人それぞれ環境は違うから、例えばバリキャリ社会人にお小遣いの学生がお金で勝てるわけないけど、それでも中学生が「お小遣い頑張って貯めてCD1枚買いました!」って言ったら、その時バリキャリが100枚買ってても中学生の好きはかけたお金で担保されてると思う。だけど「救われた」って物語は、得ようとして得られるものじゃない。

 

10だった幸せが100になったり、100だったものが200になったり、色々あると思うけど、きっと0が1以上になったりマイナスがプラスになることの方が尊ばれて、そんなことないって分かってるけど、元が0だったりマイナスだったりする子達に「永遠に勝てない」んだろうなって、しょうがないけどそれがしんどい。オタクの間で勝てない感を覚えるくらいならまだいいけど、例えば本人がオタクから送られてきた救われエピを読み上げて感謝した日なんか地獄ですよ。いや勿論素敵なことだなと思うんだけど、同時に私の好きよりあの子の好きの方が喜ばれるのかなってどこかで拗ねてしまう。お察しの通り心が狭くてめんどくさいオタクです。

 

だけど拗ねてるだけじゃどうしようもない。100%オタクライフをエンジョイするために0やマイナスの人に「負けない」物語のために何を持ち出すのか、そこで力を発揮できるのが金と時間と現場数と知識、その類のものなんじゃないかなと思います。つい主語を大きくしてしまいますがあくまで私の話で、お金と時間をかけて応援したり現場に足を運ぶこと、それ自体が物語の創造になりうると、私は思います。

 

かけたお金と時間は好きの対象を楽しんだ結果いつの間にか蓄積されるものだけど、同時にそれ自体が楽しむための手段にもなる。金と時間を注いで対象の歩みと自分の人生を寄り添わせた、その充実感がそのまま私にとっての物語として機能する。それすらも純粋に楽しんだことの副産物ではあるけど、純粋に楽しむ時にこの効果を若干計算に入れている。

何かを好きでファンになる、という段階を越えて、オタクすること自体が楽しくて、暇な時つい「推しを探す」って感覚を持つオタクは、少なからずこのケがあるんじゃないかなって、思うんだけど、違うかな。

 

そういうわけなので、私はお金と時間注ぎ込んでしまうオタクです(言い切るのも恐れ多いけど、ネットはともかくリアルの友達でそんな人滅多にいないからどちらかというとその文脈の人間のはず)

そしてお金と時間を注ぎ込んでしまうオタクとしては、時折ツイッターでバズってる推し活で無理しちゃダメだよ自分のペースで好きでいることが大事だよみんな好きでいていいんだよみたいな啓発ツイートを見る度、あなたも本当は無理してるでしょ?楽になりなよって見当違いの優しさを向けられてる気がして、黙っとれ!!って思ってしまいます。

 

お金かけて同担にマウント取りたいとか、止められなくなってるとか、そういうのではない。と思う。自分の限度はわかった上でかけられるお金をかけてできることをして、それは時々バランスを間違えて無理になってしまうこともあるし、周りの友人からなんて間違えてない時も常に無理してると思われてて「すごいね、私にはできない」みたいなことも言われるけど、そのほんの少しの無理も含めて、その上で得る充実感(根っこが「勝てない」だからここには多少のマウンティングを含むけど)含めて、私が選んだ「好き」に対する楽しみ方です。

 

上記の啓発に対抗する価値観は、金かけない在宅が推し名乗るな、みたいなやつだと思うんだけど、その感情はあんまりないです(あんまり、というのは、行けないけど応援してます!リプの神経を疑う程度の気持ちはある)

 

お金と時間を中々かけられない人や現場に行けない人が好きでいていいのかなって悩んで、バズツイの啓発を受け私は私なりに好きでいていいんだ!って気づくみたいな一連の流れ度々あると思うんですけど(偏見)、それがあんまりしっくりこなくて、でもそれはそんなわけねーだろ金かけろ、じゃなくて、むしろ当たり前じゃん何を今更って思ってしまうからだと思います。

 

「好き」と思う、言う権利は誰にでもあります。大小の違いはあれどそこに貴賤も優劣もなく、大きいものも小さいものも、出力の形が人によって違っても、好きという気持ちそのものはどれも大切でかけがえがありません。だから、みんな好きでいていいのなんて今更気づくまでもないこと。

 

「好きでいちゃいけない」って思ってしまうんだとしたら、それは金と時間をかけてるオタクに負けたくないって気持ちが少なからずあるからじゃないのかなって、勝手に推測します。もしそうなのだとしたら、もし負けたくない勝たなきゃと思ってしまって、それで好きでいることに引け目があるなら、努力の余地があるのにそう思うのだとしたら、それはおこがましいというか、それならいわゆる「在宅は黙れ」みたいな感情にも、なる。

 

あなたも私も好きなものがあって、あなたにはあなたの、私には私の好きの表明の仕方、楽しみ方があってみんな色々だねって、それだけの話。それは気持ちの強さの問題でも好きでいる権利があるとかないとかの問題でもなく、楽しみ方は人それぞれという事実があって、それをへーそうなんだって、受け止めればいいだけの話。私はそれなりに金と時間をかける遊び方を選んだけど、そうじゃない人を排斥するつもりも責めるつもりもなくていろんなものをいろんな形で推すいろんなオタクと仲良くしたいけど、ただ金と時間をかけるから得られる充実感もあって、努力もせずにその土俵に上がれるって思うのなら、それは違うよね、って。

 

(※この充実感のための「金と時間をかける」はバリキャリと中学生の例みたいな相対的なものです。それとは質の違う得るものが絶対的な部分にもあって、それは環境にも左右されるから揉めるんだろうけど、それはもう商売だし資本主義だししゃーないとしか言えない。資本主義だから努力で多少はひっくり返せるかもしれないし頑張れ。私は頑張る。)

 

お金と動員が大事なんだからそこに寄与できないファンはファンじゃないしお金払えるほどえらい、みたいな論理もある。わかる。わかるし正しいけど、それはお金払えないor払わない選択をする人の「好き」を否定するための理屈じゃないし、それを振りかざす過激派のせいで萎縮するならその必要はないし、お金払える人はいいファンというよりはいい客です。どんな商売にでもいる上客。上客であることはいいファンであることに繋がるけど、上客じゃないと「好き」って言っちゃいけないはずがない。

 

色々な客がいて、その差にどう対処していくかは、もう運営だったり本人だったりの勝手だ。常連客やいつもたくさん買ってくれる客を贔屓して大事にする店もあれば、来た人全員を同じように大事にする店も、新規の客に手厚い店もあって、その違いによっては「そんなにありがたくないファン」もいるかもしれないし、うん、それは気の毒だしどうしようもないな……それでも、ありがたくなくても「好き」が悪いなんて絶対ないから落とし所を見つけてほしいし、まして本人がみんなありがとうって言ってるなら誰かの好きの在り方をオタク同士で否定したり、自分で否定したりする必要はない。それこそお金かけてなくても壮大な救われエピソードで勇気を与えるみたいなこともあるだろうし(羨ましい!)オタクのありがたさって簡単にははかれない。

 

だから私は私のために、私の努力と金と時間で0やマイナススタートの人に負けない私の納得のいく楽しい物語を作ってこれからも楽しくオタクするから、自分の意思で遊んでるから心配しないでほしいし好きな遊び方で遊んでるだけだから違う遊び方が好きだからって萎縮しないでほしいな。と。思います。

 

まあ色々あって担降り(?)して今推しいないんですけど!!!!!前述の通りオタクすることが楽しいという文脈の上で生きてるのでオススメがあったら教えてください。以上になります。