担降りブログの真似ごと

担降りブログという文化があるらしいです。よく知らないのですが。

 

私自身は好きだしめっちゃ聴くけどヲタというほどでもない某巨大事務所のヲタがやたらめったら周りに多いので、断片的な情報だけ入ってくる、そうでなくても文化の輸出入も掛け持ちヲタも多いですからね、各界隈。

 

というわけで界隈違いながら担降りブログの真似ごとをしてみようじゃないかと思い立ち、ブログを作りました。

元推しの話がしたいというよりは、推しのヲタクをやめた今日から新しい自分なので、今日からのヲタ活の軌跡を確実に綴っていきたいという気持ちが強い。そのスタートのための担降りブログ(便宜上の呼称)です。

 

今日、2年くらい推していた方のヲタクをやめました。

 

界隈が狭いのと、色々特殊なことが多くてすぐ特定されちゃいそうで詳しくは書けないですが(それでもバレそう、いいけど、本人が見てなければ)、ざっくりとした原因は推し本人の管理不徹底が大きく作用して炎上したことです。

 

正直、SNSの使い方や端々の言葉の感じからして、あんまり頭がいい人ではないんだろうな、というのは分かっていたし、いつか何かやらかしかねないとも思ったし、何なら推し被りの友人とも界隈外の友人ともそんな話をよくしてましたが、同じくらい仕事にもファンにも真摯で一生懸命で、考えるところはきちんと考えられる人だと、何度も思わせてくれていたので、これまで付いてこれました。

 

それがいざふとしたことから着火して炎上してみれば想像以上に悪手悪手の繰り返し、なんというか、目をつぶっていたまずいところが想像の何倍も鮮やかに、一番悪い形で発揮されたみたいな、そんな感じです。端的に言うと、流石にそこまでバカだと思ってなかったよ、ねえ元推しさん。

 

前述の通り仕事とファンへの真摯さをとにかく買っていたし、仕事が好きなんだと信じていました。というかそれは今でも信じています。信じているけど、だからこそ、好きな仕事を続けていくためにもう少しファンを想ってほしかった。騒動になんてならないでほしかったという意味です。自分がどういうことをしてるのか、それを見ている人がどう思うのか、それがこれからの仕事にどう関わるか、考えてどこかで立ち止まってほしかった。

 

色恋営業の方向ではなくファンのことをファンとしてめちゃくちゃ甘やかしてくれる人で、それはそういうことが必要なのだと分かっているからだと思ってて、分かっていることを評価していたし甘やかされると嬉しいのでありがとうと思っていました。なのに!割と!何もわかってねえ!嘘だろ!

 

ファンを甘やかすこと大事にすること諸々の管理を全員が徹底しろとは言いませんが元推しの場合それで飯を食えていた部分が多分にあった。と、思う。実際それが売りみたいなところもあった。誠実さ真面目さの担保でもあった。なのにうまくやれなかったことはよくないかなと思います。

抽象的な話ですが、「自分がやりたい仕事で食っていくための努力を怠った、あるいは勘違いして自爆したことへの失望」これが一番まとまってて最もらしい担降り(便宜上)理由です。

 

ただ、それでも決め手にできなくて、悩まされたのは人間性を疑いたくなるようなリークが山のように出てきたことです。これに向き合っている時が一番疲れたし、心が離れた直接的な理由はこっちかもしれない。

 

そんなに気が大きい人に見えなかったのと、周りに可愛がられてたし買われてたので、善人だろうと思ってて、いわゆるクズバレのショックがでかすぎた。

タレントなんてうまくキャラ作って仕事して商品としてそこにいてくれてたら根の性格とかどうでもいいよ、と思ってたんですが、それでも推しがクズだと傷つくんですね。いやキャラ作り正直下手だったしそもそもバレてるからどうでもいいの域は超えてるんですけど、それとは別に確実に、好きだった推しがクズだったことそのものにショックを受けてる自分がいる。あと好きだったことが恥ずかしいみたいな感情も。

 

少ないファンが焦土になるレベルの稀に見るひどい内容の炎上で、勢いに乗ってあることないこと言われて何を信じていいか悩んだり、ひたすらに神経をすり減らしました。

騒動のはじめごろにきっと近いうちに離れるんだろうな、と思って、でも好きな人がいないと死ぬタイプの人間なので暫定まだ推しみたいな感覚で離れられなくて、その人のことを考えていました。チケット取ってしまった現場が控えてたのもあります。あと何かまだ好きでいられる理由を見つけたかったのもあります。やっぱりこれまで楽しかったし好きだったので。情に流されるし惰性と執着で生きている。

 

ちなみに、いわゆるガチ恋ではなかったです。なかったんですが、仕事はあらかたチェックしていたし現場もほとんど行ったし、その人を追いかけること、会いに行くこと、好きでいることが生活に、自分自身に組み込まれていて、そのために生きてるとは言いませんが生きる理由の最後の砦ではありました。恋愛感情がないだけで依存度合いは恋と変わらなかったし最早ガチ恋だった気もします。同担拒否入ってたし。今失恋した気分だし。

 

で、知らなかったんですけど、好きなヒトモノコトとの別れはめちゃくちゃ悲しくて何日も泣けるのに、好きだった人の形が自分の中で変わってしまった時って全然悲しい寂しいって泣けないんですよね。めちゃくちゃ心労たまるのに、そんな可愛い方向に感情が振れてくれない。ひたすらに無。無。怒りすらもなかなかわいてこない。それが悲しかった。空いてしまった穴をどうしたらいいかわからなくて泣き叫びたいのにそれすらできずにぼーっとするしかない。その間にまた新しく失望させられる。信じたくないと恥ずかしいと諦めだけがずっとあった感情でした。

 

少し心を取り戻して怒ったり楽しかったこと思い出して変わってしまった現実や思い出の意味合いを思って泣いたり、かと思えばまた無に戻ったり、嫌いになりかけたり、でも仕事は好きだと思ったり、心配になって笑ってる顔見て安心したり、でも同時に一回地の底まで落ちてしまえとも思ったり。同じところを何周もしながら毎日毎日過ごしてました。働いてる時だけ頭切り替えるから忘れられて楽しくて、前よりバイトが好きになりました。わーい。

 

で、堂々巡りしながら、次の推し見つけたらやめられるのにな、と思いながら、ずるずる現場のキャンセルもせず有料チャンネルも抜けられず。

 

終止符を打てたのは、一つは先週末にこうなってから初めて、久しぶりに現場(推しは関係ない)に行ったこと。もう一つは推しへの感情とは別に決まってた現場をキャンセルする理由ができてしまったことです。外圧アンド外圧です。

 

久しぶりに現場行って純粋に楽しくて心が洗われて推しのことを考える時間が減って、そのタイミングで推しの現場も行けなくなって、それをよかったって思っちゃって、その瞬間全部解けたみたいにどうでもよくなりました。もうやーめた、って自然に思いました。お別れをしに行くつもりの現場に何か期待してたのかもしれません。

 

せめてこういう対応をしてくれたら、せめてこの情報が嘘だったら、って、もうひどいことがありすぎて感覚が麻痺してる中好きでいるための逃げ場を探していたのですが、もちろんそれって辛くて疲れて、例え何が嘘で本当だったとしても、私が今辛くて疲れているだけで降りるには十分だと不意に思いました。

 

元推しの歌が本当に好きで、それは推し始めたきっかけなくらいなのでそもそも声が好みとか技術の面が大きくて、それでも聴いたら何も感じなくなっていてそれが全てだと思いました。気づきました。

 

極論を言ってしまえば期待してたのは私の勝手で、失望して疲れてるのも私の勝手です。勝手を押し殺してまだ好きでいたかった。推しの生み出すものや紡ぐ言葉が好きで、見せてくれる景色が何よりも綺麗でわくわくして、思い出をたくさんもらって救われて、そんな人と未来を見てみたかったから。離れる理由が百あってもその物語にしがみつける理由が一つでもあるならもう少し踏ん張ってみたかった。もっと一緒に楽しいことしたかった。

 

だけどもう待ちくたびれました。無理でした。疲れました。私の勝手ですが。

もし今言われている真偽が定かではないことが全部嘘だったとしても、それがわからないまま待って悩むだけの状態を続けることにメリットがない、所詮趣味だしなんて言えてしまうくらい気づいたら気持ちが冷めていた、なので降ります。

 

多分、降りる理由も降りない理由も最後の決め手を推しのアクションに求めていたんですが、こんな何でもないタイミングで待ちくたびれたとかいう理由であっさり辞めることになるのは予想外でした。自己完結するなら騒がれ始めの、ツイのフォロワーが軒並み離れていった時期に私も離脱したかったという気持ちもなくはない、こんなことに気づくのに時間をかけすぎた、けど必要な時間だったのかな。

 

支離滅裂になってしまいましたが今の気持ちはこんなところです。

楽しかったことも大好きだったことも思い出に泥を塗られて憎いことも全部本当です。二年間ありがとうございました。

 

次からはもう少し可読性の高い記事を書きます。